あきる野市神社一覧
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名称 | 所在地 | 概要説明 |
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熊野神社 (くまのじんじゃ) | 小川470 | 元和年間(1615~24)に創建され、寛文年間(1661~1673)に再建されたと伝えられている。俗称は「おくまんさま」。東秋川橋から落合坂を登りつめた左手に鎮座している。 |
熊野神社 (くまのじんじゃ) | 小川639 | 創立年代は不詳であるが、宝永5(1708)年修復の棟札がある。紀州熊野三社を勧請し、昔は熊野三社大権現と称したが、明治2(1869)年改称した。市指定天然記念物のケヤキがある。古くは玉泉寺持であった。 |
八幡社 (はちまんしゃ) | 平沢449 | 旧平沢村の鎮守として、鎌倉街道沿いに古くから鎮座している。もとは平沢西寄りにあった太梅院が管理していたが、その後、広済寺に遷って続けられてきた。明治元年の神仏分離令によって廃され、最寄りの神官において兼務されてきた。 |
二宮神社 (にのみやじんじゃ) | 二宮2252 | 武蔵六所宮のうち二宮で、藤原秀郷が平将門追討の折、戦勝祈願したと伝えられる。9月9日の例祭は「しょうがまち」の名でよく知られている。また、境内及びその周辺は、旧石器時代からの遺跡の宝庫である。本殿・宮殿は市指定有形文化財。御朱印社領15石。 |
八雲神社 (やくもじんじゃ) | 野辺316 | 長禄年間(1457~60)に創立と伝える。祇園牛頭天王を勧請して、村内の新開院が別当となって、毎年6月15日を祝日としていた。明治維新の折、八雲神社と改称。御祭神は素盞嗚尊。市指定有形文化財の五輪塔がある。 |
雨武主神社 (あめむしゅじんじゃ) | 雨間1941 | 江戸時代は雨武主明神社と呼ばれていた。弘化3(1846)年の「社殿普請仕用帳」によると386代目飛騨匠の後藤三次郎らによって、総檜造りにて四面に精巧な彫刻を施した社殿を造営した。俗社号は「みょうじんさま」という。 |
秋川神明社 (あきがわしんめいしゃ) | 牛沼88 | 創立起源は不詳。旧称を日吉山王大権現(山王様)といい、明治3(1870)年秋川神社と改称、明治43(1910)年に徳重院内の村社神明社を合祀し、秋川神明社と改称している。江戸時代は神職中村大和の持であった。 |
八幡社 (はちまんしゃ) | 油平255 | 創立年代は不詳ですが、「新編武蔵風土記稿」には、「社頭に古棟札あり、裏に年号を録して慶□十三年とあり、慶下の一字剥落して見えず、恐らく慶長ならんか」とある。旧八幡宮と称し、明治2年(1869)年八幡社と改めた。 |
白滝神社 (しらたきじんじゃ) | 上代継331 | 鎮座の年代は不詳です。昔は不動明王と呼ばれていた。社伝によれば昔「白滝の社と」唱えて、日本武尊の御霊跡として村民に厚く崇敬されていた。社名の白滝は、境内に樹が繁茂し、一条の飛泉がかかって滝となっていることによる。この清き水は、霊泉として村民に崇められてきた。 |
神明社 (しんめいしゃ) | 上代継422 | 当初、字中丸の内という地にあり、天正年間(1573~92)大石遠江守道俊が、当村二城山に居城の時、ここに遷座したと伝えられている。社殿には、神功皇后の玉島河(松浦川)鮎釣りの図などを彫った3点の板彫がある。 |
出雲神社 (いずもじんじゃ) | 渕上310 | 創建年代は不詳。昔は出雲大明神といい、明治維新の神仏分離れの際現在の社名に改称した。『新編武蔵風土記稿』によると元は観音寺の所管。 |
熊野神社 (くまのじんじゃ) | 引田724-2 | およそ500年前の勧請と伝えられるが、寛文年間(1661~73)に古記録等を焼失している。江戸時代は熊野権現と称したが、明治初年に熊野神社と改めた。 |
八雲神社 (やくもじんじゃ) | 引田776 | 古くは祇園牛頭天王社と呼ばれていた。創建年代は永禄年間(1558~70)といわれ、志村肥前守景元が当地を領していた時、尾張国海東郡にあった津島牛頭天王社を勧請したのに始まる。明治3年に(1870)八雲神社と改称。 |
大宮神社 (おおみやじんじゃ) | 引田944 | 延文2(1357)年足利基氏が再建したと伝える。『新編武蔵風土記稿』に、大永7(1527)年日奉宗連の棟札があったという。その写しが『武蔵野歴史地理』に載せられている。江戸時代は大宮明神社と呼ばれていた。 |
森山神社 (もりやまじんじゃ) | 草花275 | 江戸時代は森山明神社と呼ばれていた。明治2(1869)年に草花神社に合社になったが、大正初期に再び分離して森山地区の鎮守となった。祭神は伊弉那岐命。例祭は9月の最終土曜日・日曜日で、「森山ばやし」が奉納される。 |
八幡神社 (はちまんじんじゃ) | 草花792 | 明治2(1869)年に草花神社に合社されたが、大正初年に再び分離。高瀬地区の鎮守。九月最終日曜日には例祭が行なわれ、「森山ばやし」が奉納される。 |
草花神社 (くさばなじんじゃ) | 草花1787 | 建立年代は不詳であるが、元は十二天社と称していた。明治2(1869)年まで草花1476番地の平地に鎮座していたが焼失し、明治7(1874)年に現在の地に再建された。 |
八雲神社 (やくもじんじゃ) | 草花1880 | 明治2(1869)年に草花神社に合祀されたが、大正時代の初めに分離している。通称「天王様」と呼ばれ、境内には鬼源兵衛が持ち上げたという伝説の大石がある。 |
小宮神社 (こみやじんじゃ) | 草花2981 | 一説に承元元(1207)年社殿が建立されたと伝えられている。多摩郡小宮領八千石の総鎮守として小宮大明神と称し、小宮上野介憲明の祈祷所となり社殿を再建、寛正4(1463)年には梵鐘一口を奉納している。この梵鐘は国認定重要美術工芸品。御朱印社領7石。 |
正勝神社 (まさかつじんじゃ) | 菅生1819-イ | 創立年代は不詳。元暦年間(1184~85)に居住していた武蔵七党中の横山党・菅生太郎有孝と次郎経久の祈願所であったと伝えられている。『新編武蔵風土記稿』によると「この社往古今の所より北の方にありしといふ、いつのころこの地にうつせしや」。明治2(1869)年に旧称山ノ神を正勝神社と改称。 |
神明社 (しんめいしゃ) | 瀬戸岡445 | 創立年代は不詳。古くは神明大神宮と称していた。明治2(1869)年に社号を神明社と改め、同6(1873)年村社格に列せられた。「おいせ林」と呼ばれる木立の中にある。 |
八幡神社 (はちまんじんじゃ) | 山田477 | 社伝によれば文和年間(1352~56)足利尊氏の家来、景山大炊助貞兼の建立したもので、瑞雲寺が別当であったという。祭神は応神天皇である。 |
天神社 (てんじんしゃ) | 山田820 | 社伝によれば貞治・応安(1362~75)のころ、足利基氏の母瑞雲尼の創立で、社号は古くは天満宮と称し村内能満寺持ちの常照寺が別当であったが、明治の神仏分離令により天神社と改めた。祭神は菅原道真公。山田下分鎮守。 |
正一位岩走神社 (しょういちいいわばしりじんじゃ) | 伊奈1575 | 創立は不詳であるが、仁平2(1152)年7月,信濃国伊那郡の住民12名が当地に来て一村を開き、本国に鎮座する戸隠大明神の分身を勧請したという。寛政6(1794)年に正一位の神階を許され、正一位岩走神社と改称している。 |
貴志嶋神社 (きしじまじんじゃ) | 網代83 | 創立は不詳。もと網代弁財天と称し、天正19(1591)年朱印地5石を賜る。明治3年に現社号に改称したが、俗に「網代の弁天様」と呼ばれている。神社南の岩窟内にある大黒天は市の指定有形文化財。 |
愛宕神社 (あたごじんじゃ) | 横沢127 | 旧横沢村鎮守。創立は不詳。古くは愛宕大権現と称したが、明治2年に社号を改めた。祭神は軻遇突智命(火神)である。 |
八幡神社 (はちまんじんじゃ) | 舘谷159 | 寛文2(1663)年の検地帳に「御除地畑五畝六歩八幡免正光寺持」とあるのみで、起源・由来は不詳。もとは八幡大明神と称したが明治維新の際に八幡社と改めた。祭神は応神天皇である。 |
三内神社 (さんないじんじゃ) | 三内190 | 創立起源不詳。社伝によれば天武天皇の御宇、10座を奉斎し、桓武天皇の延暦24(805)年6月12日、社殿を造営。昔は秋留郷三宮村三ノ宮大明神と称したが、三ノ内村と改称し、社号を三内神社と称するようにいたったという。 |
諏訪神社 (すわじんじゃ) | 三内573 | 祭神は建御名方神です。社伝によれば創立は天正11(1583)年信濃国より諏訪大神を勧請し、諏訪大明神と称したという。明治2年に現在の社号に改めた。 |
愛宕神社 (あたごじんじゃ) | 入野808 | 旧入野村の鎮守。明治41年に松尾神社(入野1042)、大正3年八幡神(入野937)、神明神社(入野393)を合祀。昭和27(1952)年に松尾神社を分祀している。祭神は、迦具土神・応神天皇・天照大神・大山祇神である。 |
穴沢天神社 (あなざわてんじんしゃ) | 深沢210 | 深沢の入口に鎮座する。創立年代は不詳。大正6年2月狩佐須神社、山神社、稲荷神社を合祀。祭神は高皇産霊神・神皇産霊神・伊弉諾神・小彦名神・事解乃男神・速玉乃男神・大山祇神・豊受姫命である。 |
日枝神社 (ひえじんじゃ) | 五日市874 | 創立・起源は不詳。一般に「番場の八幡さま」と呼ばれている。内宮は山王社及び八幡社の2座である。大山咋神(山王社)・応神天皇(八幡社)を祀っている。 |
阿伎留神社 (あきるじんじゃ) | 五日市1081 | 創立起源は不詳であるが、「延喜式」の巻9「神名帳」には、武蔵国多摩郡八社の筆頭に「阿伎留神社」があり、これが当社であると伝えられている。市指定有形文化財の年中十二祭神事絵巻・懸仏台盤・武州南一揆文書がある。御朱印社領10石。 |
高尾神社 (たかおじんじゃ) | 高尾660 | 寛文年間(1661~73)の検地帳に「除地壱反弐畝」とあるのみで創立起源・由来は明らかではない。祭神は迦具土神。境内にある欅造り朱塗りの古社は軍茶利明王祠と伝えている。 |
八坂神社 (やさかじんじゃ) | 留原320 | 江戸時代には牛頭天王社で、留原村の総鎮守であり、天王山地蔵院が別当として奉祀していた。須佐之男命・宇賀魂神を祀る。通称「天王さま」と呼ばれている。 |
御嶽神社 (みたけじんじゃ) | 小和田531 | 創建年代不詳。宝暦11(1761)年2月2日の神道裁許状には、「武蔵国多摩郡小幡村御霊権現金峰山蔵王権現両社の祀官宮崎豊後守藤原金郷」とある。金峰山蔵王権現が御嶽神社である。日本武尊・布都御魂神・鎌倉権五郎景政霊を祀る。 |
子生神社 (こやすじんじゃ) | 小中野187 | 社伝に、永正元(1504)年両部神道修験者阿闍梨法印朱学院の創建という。子孫繁栄、安産子育の神として広く崇敬され、妊婦が奉納した底の抜けた竹柄杓が、拝殿に懸けられている。祭神は猿田彦神・木花開耶姫命である。 |
三島神社 (みしまじんじゃ) | 戸倉414 | 天徳2(958)年2月28日に、伊豆国の三島神社の分霊を勧請したもの。古来より源頼義、畠山重忠、宗良親王、新田義宗、足利成氏、太田道灌ら武将の信仰が厚く、寄進の宝物を残している。本殿と武州南一揆文書、石棒が市指定有形文化財。 |
武多摩神社 (ぶたまじんじゃ) | 戸倉414 | 古くは不動堂といい、戸倉本郷の農家50戸の産土神であったという。本尊は、高さ6尺4寸の不動明王像立像。本殿は市指定有形文化財。 |
神明社 (しんめいしゃ) | 戸倉464 | 嘉禎2(1236)年、戸倉本郷の小宮左衛門次郎直家が勧請し、小宮上野介憲明が再建。さらに、天文年間(1532~55)には戸倉城主大石源左衛門尉源定久が再営したと伝える。もとは神明宮と称し、明治維新の際に神明社と改称している。 |
白山神社 (はくさんじんじゃ) | 戸倉819 | 社伝によれば応永元(1394)年11月加賀国白山権現の分霊を勧請したもので、長禄3(1459)年戸倉城主小宮上野介憲明が社殿を再建した。また、天正年間(1573~92)には木住野大炊助が社殿を再建している。祭神は白山比咩命。 |
神明社 (しんめいしゃ) | 戸倉1041 | 桓武平氏の後裔、山下主殿邦広の二男宗内義教が、永享4(1432)年、足利義教の富士遊猟に従い、事故があって本村に住みつき、同5年、村民の黒山氏とともに当社を祀ったという。 |
小宮神社 (こみやじんじゃ) | 戸倉1514 | 本社はその昔、武蔵七党のうち西党平山氏の一族で高橋氏の奉祀するところであった。京都の伏見稲荷神社を勧請し正一位小宮稲荷と称したが、明治2年に小宮神社に改称している。 |
大戸里神社 (おおとりじんじゃ) | 乙津294 | 創立は不詳であるが、社伝によれば古くは鷲宮大明神と称し、明徳3(1392)年に天穂日命を合祀している。別名大鳥(鷲)神社、俗称「おとり様」。祭神は天日鷲命・天穂日命である。 |
八幡神社 (はちまんじんじゃ) | 乙津323 | 乙津字宇佐岳に鎮座する。祭神は誉田別命で、応永年間(1394~1428)に小宮上野介が豊前宇佐より勧請してこの地の豪族に奉祀させたと伝えるが詳しくは不明である。 |
春日明神社 (かすがみょうじんしゃ) | 乙津427 | 応永年間(1394~1428)に小宮上野介が奈良の春日社より加茂原に勧請したのが始まりで、奈良山山頂に遷し、後に現在地に遷したという。市指定有形文化財の「春日明神社和鏡」8面を所蔵する。 |
熊野神社 (くまのじんじゃ) | 乙津1002 | 祭神は、伊弉那岐命・伊弉那冊命である。創立は不詳であるが、社伝によれば嘉吉元(1441)年の勧請ともいわれる。もとは熊野大権現と称した。天正18(1590)年に社殿が焼け、翌19年に再建したという。 |
神明社 (しんめいしゃ) | 乙津1402 | 創立由緒は不明であるが、古老の口伝によれば神明皇大神と称し、龍珠院の鬼門除けとして建立した。応安2(1369)年2月の勧請という。明治2(1869)年に社号を神明社に改めた。祭神は天照大神・天児屋根命・素盞嗚命である。 |
高明神社 (こうみょうじんしゃ) | 乙津1854 | 古くは熊野三社大権現と称した。創立は不詳であるが、江戸時代に書かれた『武蔵演路』によると別当光明寺とともに延文年間(1356~1361)に戦火で焼失したという。祭神は、天之御中主尊・伊弉諾命・伊弉冊尊である。高(光)明山頂にあったが、平成3(1991)年現在の地に遷した。 |
養沢神社 (ようざわじんじゃ) | 養沢1018 | 養沢地区には、熊野・八幡・八坂・楪(ゆずるは)・日天・門客人(あらはばき)の6社があるが、楪を除く5社を大正4年に合祀し、門客人の地に養沢神社を創立した。平成21年9月に楪は合祀された。祭神は天照大神・伊弉諾命・伊弉冊命・速玉男命・誉田別命・手名槌命・足名槌命である。 |
五柱神社 (いつはしらじんじゃ) | 養沢1392 | 祭神は久々能智命・迦具土命・埴安姫命・金山毘古命・弥都波比売命で、由緒は不詳。境内末社に山ノ神社がある。拝殿前の石段脇に市指定天然記念物のスギが聳え立っている。 |
お問い合わせ
あきる野市役所 教育部 生涯学習推進課
電話: 文化財係 042-596-4069(五日市郷土館)
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