第24回あきる野市「家庭の日」推進事業 絵画・作文・ポスター入賞作品
[2020年10月27日]
[2020年10月27日]
今年の5月5日“こどもの日”に、大すきな大すきなおばあちゃんがなくなりました。びょう名は「ガン」だったそうです。
さいしょのころ、わたしは知りませんでした。お姉ちゃんたちといっしょに、お母さんによばれて家で話をはじめてききました。
よめいも、次のお正月がむかえられるか、むかえられないか・・・と言われたそうです。いきなり話しをきかされて、ショックでぜんぜん理かいできませんでした。
お姉ちゃんたちとお母さん、そしてわたしの4人で泣きました。それが2017年の12月のことでした。おばあちゃんは、なんどか入いんしたあと、のこりの少ない時間を家ぞくですごせるようにと、お父さん、お母さんが、「ざいたくかんご」にするといって、もうしこみました。
いつでもおばあちゃんに会えるようになる!とちょっとうれしくなりました。
だけど、おばあちゃんの家へ行くたびに、おばあちゃんの体がよわっていってるのが、わたしにもわかりました。でもおばあちゃんは、わたしのかおを見ると、うれしそうに、にっこりしてくれます。そして、あたまをなでてくれます。すると、わたしの心はホッとして、わたしもにこっとわらいます。そしておばあちゃんは言います。「いっしょにディズニーランドに行こうね。」と。けれど、おばあちゃんは、だんだん立てなくなってきて、ごはんもまともに食べれなくなってしまいました。
わたしの心も、どんどんくるしくなってきました。一日一日がきんちょうしていました。
それでも、おばあちゃんの前ではなるべく泣かないと家ぞくで決めました。「みんなのわらうかおとこえが好き。」と言っていたおばあちゃんに、たくさんのえがおを見せたいからです。
おばあちゃんがなくなったとき、わたしは泣きながら手をさわりました。おばあちゃんの手は、元気だったときよりもほそくなってしまっていましたが、おばあちゃんの手で、くるしいぐらいだきしめてくれたことを思い出しました。それから、あみものがとくいで色いろ作ってくれたことも。今も大じにとってあります。
おばあちゃん、ディズニーランドもう一ど一しょに行きたかったね。かぞくみんながおばあちゃんの作るごはんがたべたい!と言ってるよ。おばあちゃんの元気だったころ、やさいがぜんぜんダメで、食べれなかったぎょうざが大好ぶつになったよ。おばあちゃんの作るぎょうざは、すっごくおいしい!ってお姉ちゃんが言ってたから、食べられなかったことを後かいしています。今もまだ、おばあちゃんのことを考えると、なみだが出てしまいます。いつもいつもやさしいおばあちゃん。おばあちゃんがわたしのおばあちゃんで良かったです。わたしはまだ小3だけど、大人になってもぜったいわすれないよ!!
私は、四年生の時に「起立性調節障害」という病気になりました。
ある時、朝起きる事ができなくなりました。
いつも体調が悪くなってしまい、とても辛かったです。
朝から学校に行けなくて途中から行ったり、行けてもすぐ具合が悪くなって帰る事もありました。
学校にいる間も保健室で過ごす時が多かったです。
でも、いつも先生や友達が優しくしてくれました。
その時の担任の先生は新しく来たばかりで、忙しくて大変なのにいつも心配してくれました。
保健の先生は、毎日私の体調を見てくれたり、健康になるための事を教えてくれて心強かったです。
今はもう学校にいませんが、先生の言葉を今でも思い出し役立てています。
カウンセラーの先生は、いつも話を聞いてくれたり、はげましてくれました。
休み時間になると、友達が保健室に来てくれて、いつも話をしてくれました。
だから私は一回も学校を休みたいと思いませんでした。
家では、お母さんがいろいろ調べて病院に行ったり、体を整えるためのごはんを作ってくれたり、健康になるために一緒に運動してくれたり、毎日学校にも送ってくれました。
学校が休みの日には、友達が遊びに来てくれたり、友達のお母さん達に会うと声をかけてくれました。
私は周りの人達に助けてもらったので、私も人のために何かしたいと思いました。
私の周りでも、同じ病気で苦しんでいる人がいると知って、自分だけではないんだと思いました。
そして、かならず治るということを教えてあげたいと思いました。
私は、治るまで一年ぐらいかかりましたが、その後は、元気に過ごせています。
まだ、体調の事で心配になる事もありますが、一度乗りこえられたので、がんばれる自信がつきました。
私は、前田小学校に通えてよかったと思います。
そして、なによりもあせらず見守ってくれ、親切にしてくれた周りの人達に、感謝しています。