第17回あきる野市「家庭の日」推進事業 絵画・作文・ポスター入賞作品
[2020年10月27日]
[2020年10月27日]
◎天田 惺大 さん 「テレビでオリンピックのバレーをみました」
○澁澤 優芽 さん 「花火をみました」
○常磐 柚名 さん 「しゃぼん玉をしました」
○永盛 和楓 さん 「みんなであさひやまどうぶつえん」
○中野 大輔 さん 「サファリパークへ行きました」
○磯部 光志 さん 「かぞくでうみにいっておよいでいるところ」
◎長野 暁 さん 「食事の時は家族の時間を大切に!」
○伊藤 響生 さん 「家族の笑顔は宝物」
○齊田 菜月 さん 「お家に帰ろう」
○林 康葉 さん 「あたたかい家庭は笑顔から」
少し泣き虫なお母さん。テレビのドラマを見て泣いたり、テレビで泣いている人がいるともらい泣きをしています。わたしが保育園の時のクリスマス会では、わたしがセリフを言ったとたんに泣いていたり、保育園のそつ園式の時も泣いていました。泣いているお母さんを見てわたしはもらい泣きをしました。弟も保育園のそつ園式でお母さんの泣いているところを見てもらい泣きをしていました。
お仕事を頑ばっているお母さん。朝から夕方までお仕事してお仕事がおわったらいそいでわたしと弟を学童までおむかえにきてくれます。夜ごはんのようい、せんたく、わたしと弟のしゅく題をみてくれて休むひまもなく頑ばっています。
ちょっとこわいけどやさしいお母さん。わたしと弟が言う事をきかないのでよくお母さんはおこります。でも、おこったあとは、わたしや弟が食べたい物とかを作ってくれます。ちょっと泣き虫だけど、お仕事を頑ばって、わたしや弟やお父さんを大切にしてくれるお母さんが大好きです。
わたしが、大人になったらお母さんみたいにお仕事を頑ばって子ども楽しく、くらせる家族にしたいです。
ぼくには、八十八歳を迎える、ひいばあがいます。ひいばあは、練馬のお母さんの実家に、住んでいます。ぼくは毎年、夏休みと、お正月に、会いに行きます。ひいばあに会いに行く時の、一番の楽しみは、ひいばあの作るごちそうを食べる事です。ぼくの好物を、次から次へと、神業のごとく作り、食べさせてくれるのです。もちろん味は天下一品で、レストランで食べるよりも、ずうっと美味しいのです。
今年の夏休みも、お盆の時期に行きました。
「ひいばあ、帰ったよぉ。お腹すいたあ。」
と、ぼくは玄関を入るとすぐに、声をあげました。すると、部屋の中から、
「よく来た、よく来た、早く中に入りなさい。ご飯できてるから。」
ひいばあのやさしい、包みこむような声がしました。ぼくは、ルンルンで、台所に向かうと、そこには、大きな鍋が一つ、テーブルの上に置いてありました。
「ひいばあ、これ何の料理?お肉かなぁ。」
と、ぼくがたずねると、ひいばあが、開けてごらん!というしぐさをしたので、ドキドキ、ワクワクしながら、ふたを開けました。すると、中には、お汁がたっぷり入っていました。お玉で、かき混ぜてみると、さつまいもと、お米のつぶが少しばかり入っていて、とてもごちそうという名の料理には見えません。
「ビックリしたかな。ぞうすいだから、食べてごらんなさい。」
ひいばあの、やさしい口調に誘われて、お椀に盛って食べてみました。味はというと、お汁にしては、もの足りず、お箸でかき混ぜても、ほんの少しのお米と、さつまいもがあるぐらいで、美味しいには、ほど遠いものでした。ぼくは、少しがっかりしながら、
「ごちそうじゃないの?」
と、つぶやきました。すると、ひいばあは、
「このぞうすいはね、戦争中のごちそうなのよ。終戦記念日も近いから、作ってみたの。ゆうちゃんに、食べてもらいたくてね。」
と、静かに、話し始めました。
それから、一時間ぐらい、ひいばあの戦争体験を、家族みんなで聞きました。ひいばあは、家族のために、食事を我慢して、朝早くから、夜遅くまで、軍事工場で働いたそうです。毎日、食べる物がなく、イモすらない時は、草むらに、生えている山菜で、飢えをしのいだそうです。ぼくが食べたぞうすいは、ひいばあにとって、家族が無事に、一日過ごせた喜びを、別ち合う、何ものにも勝る、ごちそうの一品だったのです。
ぼくは、いつも笑顔で迎えてくれる、元気なひいばあに、こんな悲しい過去があった事に、驚きました。そして、毎日、食べる食事に感謝し、二度と戦争が起こらない世の中にしたいと、思いました。ぼくのごちそうは、家族みんなで食べる、団らん飯です。