第18回あきる野市「家庭の日」推進事業 絵画・作文・ポスター入賞作品
[2020年10月27日]
[2020年10月27日]
◎平野 美梨華 さん 「みんなではなび」
おぼんになる少し前、おはかまいりに行きました。車からおりると、顔からあせがたきのように「ドバーッ。」っと出てきました。
「おじいちゃん、かわいそう。毎日あついだろーなー。」
ボクはまず、バケツに水をくみに行きました。冷たくて気もちがよかったから、すこしだけあそんじゃったら、みきにおこられて、そして大ゲンカになってしまいました。
なかなおりしてから、セブンイレブンで買ってきたお酒とあんパンをおそなえしました。
この前、サト子おばあちゃんと、とんでんでごはんを食べた時に、「おうちゃんは本当おじいちゃんにそっくりだね。」と言いました。
ボクの顔と体とそれから、ふざけてしまう所や、みんなを笑わせるせいかくがにているそうです。ボクの生まれてくるずっと前、お母さんが22才の時、交通事こでなくなりました。ボクはただのりおじいちゃんに会って見たかったです。おじいちゃんもそうだったと思います。おじいちゃんを天国へつれていちゃったのは交通事こです。自転車でしん号まちをしていたおじいちゃんの所へスピードを出しすぎた2台の車がぶつかって、スカイラインがおじいちゃんの所にとんできたそうです。おじいちゃんはすごくこわかったと思うしいたかったと思います。
だから、ぼくは、大人になったら、たぶんめんきょをとると思うけど交通ルールをまもりスピードの出しすぎは、しません。全国の人にここでおねがいします。「せいげんそくどはかならずまもってください。」
おせんこうにライターで、火をつけて、おはかをタオルできれいにふきました。
あついから、お水をドバドバかけました。
手をあわせて、「ぼくは、サッカーと水えいをがんばっています。」とお話しました。みきに、「あんパン食べたいね。」と言ったら、「うん食べたいね。」と言ったので半分こして食べました。あんパンはただのりおじいちゃんの大こう物だったそうです。だから3人で食べているような気がしました。
お母さんが、「また、おひがんに来ようね。」と言って帰りました。
去年の六月、六時間目が終わってすぐ、お母さんがむかえに来ているからいそいで行くように言われた。ぼくは何だろうと思った。いそいでお母さんの車に乗ったら、お兄ちゃんも来た。お母さんは、あわてている感じだった。
「どうしたの?」
「じじがね、昨日、救急車で病院に運ばれて、脳こうそくで、もう意識がなくて、あぶないの。まだ生きているうちに会いにいこうね。」
それを聞いて、お兄ちゃんはぐっとだまった。
ぼくは頭の中で、
「なんで?なんで?この間会った時は元気だったのに。」
とわけがわからなかった。じじは、何度か入院したけど、リハビリもがんばっていたし、毎日散歩もして、ぼくたちに会うといつもうれしそうにお話ししたり、遊んでくれていた。なのに、そのじじがもう意識がないなんて信じられなかった。お父さんもいっしょに乗って、青梅の病院に行った。
じじのいる病室に入ると、じじは苦しそうに息をしていた。でもぼくには、ねているように見えた。まだぼくには、じじが死んじゃうなんて信じられなかった。
お母さんが夜、つきそうことになって、ぼくとお兄ちゃんは、お父さんと家に帰った。
ぼくは、ふとんに入ってもなかなかねむれなくて、ずっとじじのことだけを考えていた。心の中にじじの思い出がたくさんうかんできた。笑ったりおこられたりたくさんの思い出がある。お父さんもお兄ちゃんも、じじのことを考えていて、ねむれないみたいだった。
朝になって、いつもどおり学校に行くように言われた。でも授業が始まっても、じじのことで頭がいっぱいだった。
午後じじに会うと、もうじじは、天国へ行ってしまっていた。ばばとお母さんとお母さんの妹といとこに見とられて、静かに息を引きとったと聞いた。
「最後まで、じじはりっぱだったよ。」
と、ばばが泣きながら言った。じじの顔は、やさしく、笑っているような顔だった。
告別式の朝、家族でスイカを食べた。じじはそのスイカをぼくと兄ちゃんと、いとこのお姉ちゃんたちに切りわけて、後でとどけようと言って、お昼ねをしたまま意識がもどらなくなった。じじは最後まで、ぼくたちのことを考えてくれていた。スイカは家族で笑いながら
「おいしいね。」
と食べた。そのスイカはいつもよりおいしく感じた。
最後のおわかれの時、
「じじ、おいしかったよ。ありがとう。」
と、言って見送った。
今でもあのスイカの味はわすれられない。だってじじの心のこもった世界一のスイカだから。
◎齋藤 ちひろ さん 「笑顔あふれる家族の食卓」